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第80回 麦秋の遠足「落合文化散歩(イマジネーション散歩)」

日程

  • 2019年5月19日(日)

案内人

  • 中村惠一(落合文化史研究)、井上裕一(早稲田大学文化推進部)
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旧近衛邸の車寄せにあったケヤキ

  大正末から昭和戦前期にかけて新宿区・落合地域には画家・小説家・演劇家・写真家などが数多く暮らし、活動をしていました。特に前衛美術集団マヴォや新興写真運動は落合という土地を基盤にスタートしました。アヴァンギャルドの故郷とも呼ぶべき地域です。

しかし、太平洋戦争末期の空襲によって地域の多くは焼失、今では記憶と記録のみしか残っていない場所でもあります。一部残っている中村彜アトリエ、佐伯祐三アトリエ、林芙美子記念館を中心に地域に残っている記憶と記録をもとに当時の様子を想像しながら街を歩くというイマジネーション散歩を体験いただきます。坂道も多く、歩く距離も長いので歩きやすい装備でご参加ください。

報告記事吉川 也志保 Yashiho Kikkawa(二松學舍大学)

 本学会での遠足には初めての参加で、偶然にも、個人的に親しみのある新宿・落合地区を巡ることになりました。元々新宿区民であった縁もあり、大学生の頃に新宿区立博物館には学芸員資格のための博物館実習などでお世話になった際にも、地域の大まかな歴史を知り、林芙美子のフランス滞在中の資料を整理する機会などにも惠まれましたが、今回の遠足では、地域を代表する文化人である佐伯祐三や中村彜のアトリエ、林芙美子の旧居などの他に、新宿区の発行する『落合の追憶 ―落合に生きた文化人―』のガイドマップに載っていないような見どころも多数あり、大いに発見のある一日を過ごせました。案内人の中村惠一氏からは、旧居や活動地の建物が残っていない場所も想像しながらめぐるという今回の「イマジネーション散歩」の趣旨をご説明いただきました。
 目白駅を出発し、まずフランク・ロイド・ライト様式の目白が丘教会や日立目白クラブを目指す途中で、あまり広くない道路の中心にそびえるケヤキが学習院長でもあった近衛篤麿の邸宅のあった玄関の車寄せにあったものだという解説を受けました。

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中村彜のアトリエに向かう道。
かつては、桜並木でエロシェンコも通った

 中村彜アトリエ記念館に向かう道には、かつて桜並木があり、彜の肖像画のモデルになった詩人のエロシェンコも通ったようです。井上裕一先生のご解説では、新宿区は佐伯祐三のアトリエの保存活動を優先させていたが、豊島区住民の保存活動が盛んで、中村彜のアトリエを守るために、3億円が集ったそうです。アトリエの備品は、中村彜の出身が水戸藩である縁で、茨城県立美術館の所蔵となっています。

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中村彜アトリエ記念館


 続いて、アダチ版画研究所を訪ね、浮世絵版画の復刻などの展示を見学しました。そして、佐伯祐三のアトリエでは、代表作のひとつである下落合風景の複製を見ながら、井上先生からアトリエの建造・増築・保全の経緯について調査報告のご解説を聞き、画家の生涯と作品についてのビデオを鑑賞しました。画家たちが活躍したころ、フランスのプロヴァンスを模して、落合文化村が形成されていったそうで、佐伯祐三本人による日記では、活動日時や場所に、その時の天気が特定できる記述があり、貴重な資料となっているそうです。

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アダチ版画研究所

 その後、再び中村氏の案内で、イマジネーション散歩が続き、画家蕗谷虹児の旧居の門の前を通り、午後2時半過ぎに、現在は、一般家屋になっている画家吉田博工房跡や画家阿部展也のアトリエ跡を通り、現在はフジオプロダクションのある通りで外山卯三郎の旧居跡を確認しました。また、その付近を通る妙正寺川にて、詩人辻潤が餓死した場所が今は川になっていることを聞きました。かつては、妙正寺川が新目白通り寄りにあったそうです。
午後3時頃に、全日本無産者芸術連盟(ナップ)の本部跡をまわり、現在民家が立つ中野重治旧居跡、村山知義アトリエ跡を通り、谷文晁の作品が所蔵される月見岡八幡神社近くの公園でしばし休憩をとりました。
壷井栄・壷井繁春旧居、堀野正雄旧居跡を通り、西武新宿線中井駅の近くに来ると、萩原朔太郎の元夫人・稲子が経営した文化人の集ったカフェ・ワゴンが、カフェコロラドになっているのがわかりました。カフェ・ワゴンの常連には、逸見猶吉、宍戸義一、石川善助、草野新平、伊藤整、百田宗治、檀一雄、林芙美子、古谷綱武、尾崎一雄、太宰治などがいました。

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佐伯祐三アトリエ記念館

 現在、記念館として公開されている画家のアトリエや林芙美子旧居では、ボランティアの方々の解説もあり、地域の博物館として地元に根差した活動がうかがえました。林芙美子記念館の近くにある三の坂の上には、かつて松本俊介アトリエがありました。尾崎翠が住んだ場所を午後5時前に通過し、板垣鷹穂邸があった場所で今はつつじの垣根がある細い路地を通り、落合駅付近の山手通りに出ると、そこには白い大きな換気塔が道路に建っているのが見えますが、その付近が柳瀬正夢の家跡であると説明を受け、遠足は終了しました。

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萩原朔太郎の元夫人が営み文化人の集ったカフェワゴン跡地

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林芙美子記念館


今回の遠足の後半にめぐった幾人かの文化人のアトリエ跡や旧居跡については建物自体が無くなってしまっただけでなく、現在では道路や川の上になっている場所にも案内され、東京の街並み・区画の変化を実感する良い機会となりました。
東京の街並みは、歴史的な建造物が占める割合が少ないとしても、東京の中でも江戸城に近かった地域では、道路や区割りの位置は江戸時代から大幅には変わっていませんので、比べてみますとヨーロッパは建造物の保存や景観保存に熱心ではありますが、19世紀に街並みの大改造を受けたパリよりも、場所によっては、東京の方が区画自体は古い時代のものが残っています。それでも、江戸の中心からはずれていた落合の方は、佐伯祐三が住んでいた頃は、建物が過密化してはいませんでした。
落合文化村あるいは目白文化村として開発された後に、区画整備で道路や河川の位置が変わり、当時の面影は、記念館以外ではうかがい知ることが難しい姿になってしまいましたが、案内人の方々の綿密な調査により、大正・昭和期の多くの文化人の生活・活動した軌跡をたどることができました。



行程

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柳瀬正夢旧居(昭和8年)の跡地

散歩コース:目白駅→目白ヶ丘教会(遠藤新設計)→中村彜アトリエ→佐伯祐三アトリエ→吉田博アトリエ跡→阿部展也アトリエ跡→外山卯三郎邸跡=赤塚不二夫プロ→辻潤死亡場所→ナップ(全日本無産者芸術連盟)本部跡→村山知義・三角のアトリエ跡→壷井繁治・栄邸跡→堀野正雄写真スタジオ跡→尾形亀之助邸跡→林芙美子記念館→松本峻介アトリエ跡→船山馨邸→古屋芳雄邸跡→林芙美子下宿跡→尾埼翠「第七官界彷徨」執筆場所→板垣鷹穂・直子邸跡→柳瀬正夢昭和8年住所地→東西線落合駅


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