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第40回 錦秋の遠足  「京都・大山崎に藤井厚二「聴竹居」を訪ねる」

日程

  • 2010年11月27日(土)

案内人

  • 宮下規久朗(神戸大学)

解説者

  • 松隈章(竹中工務店)
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 近年、優れた近代建築(日本を代表するモダニズム建築としてドコモモ20選に2000年に選定)、あるいは環境共生住宅の原点として注目を集める「聴竹居」(ちょうちくきょ)を中心に、京都府乙訓郡大山崎町を訪ねます。
 「聴竹居」を設計したのは、京都帝国大学で自らがはじめた環境工学で教鞭をとった藤井厚二です。自邸・実験住宅として1928年(昭和3)に竣工しました。
 「聴竹居」の周辺の紅葉の一番美しい時期に、お弁当による食事会を兼ねた見学会とすることで、藤井の「実験」の成果を体験します。
 さらに、普段は非公開の藤井厚二の設計した「野村邸・茶室」の見学会も、特別に実施します。また、オプショナルツアー として「京都で伊東忠太の建築を見る 」という観点から、西本願寺別院「伝道院」等の見学を行ないます(解説者:倉方俊輔(西日本工業大学))。

行程

10:45−11:30 藤井厚二設計「野村邸・茶室」見学(特別公開)
(参加人数により3班程度にわかれて順次見学)
11:40−12:30 「聴竹居」見学
12:30−14:00 「聴竹居」内にてお弁当で昼食、記念撮影
14:30−16:30 アサヒビール大山崎山荘美術館・展示および建物見学
17:00−20:00 山崎にて懇親会

「京都・大山崎に藤井厚二「聴竹居」を訪ねる」報告記事宝利 修  HOHRI Osamui

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 2010年11月27日 秋らしく高い青空。その日、京都・大山崎はため息がでるほど美しい紅葉の時期だった。集合場所はJR山崎駅。
 藤井厚二(1888-1938)は、日本で最初に「環境共生住宅」を志向した建築家といわれているという。今回の遠足は、この先進的な建築家が設計した自邸「聴竹居(ちょうちくきょ:1928年竣工)」、「野村邸茶室」などを訪れる旅である。
 通常は非公開の「野村邸茶室」から見学開始。藤井厚二が母のために設計した建物に付属した茶室だそうで、四畳半の広さの茶室部分と3畳の広さの水屋部分で構成され、1930年頃建設されたものと伝えられている。東向きの躙口から中に入ると、床の間前の天井に設けた段差を利用した照明と換気口、高めの円窓など、光と空気の流れを読み、同時にデザインに配慮のある空間である。もちろんプロの優れた設計とはいえ、この建築家は、思いやりのあるとても優しい人だったのかもしれない。
 大山崎の坂道を10分ほど登って「聴竹居」へ。他の会員たちも見事な紅葉に目を奪われている様子である。
 森の中をさらに進み、広場のような南側の前庭に到着してみると、紅葉に覆われ、静かに佇む聴竹居は、環境と共生というより森に溶け込んでいて、一枚の絵のようであった。茶系の落ち着いた色調で、低い屋根。前庭からは、6m以上あると思われる縁側いっぱいに大きなガラス窓が並んでいるのが見える。80年以上も前に設計された建物なのだが、屋根や窓枠の形からもモダンな印象を感じさせる住宅である。
 前庭から玄関に続く石段を上がり、屋内へ入ると最初に目に入ったのがベンチシートのある客間。広い窓のある空間で、天井には三角形が組み合わさった不思議な形の照明が取り付けられている。木のテーブルセットも天板に曲線が配されるなど、いずれも藤井厚二がデザインしたモダンで個性的なインテリアである。居間に進むと、空間を分節している壁面にも大胆な円弧型の開口があり、北側食堂への風景を切り取って、採光できるようにもなっている。この居間の配置は、居間から食堂や客間などへ、どの居室にもつながっており、とても機能的に見えた。
サンプルイメージ また、見事な紅葉の風景をそのまま取り込んで、パノラマのように眺められる縁側は、景色をさえぎる柱が一本もなく、後方の読書室からも同時に楽しめる。ここも「野村邸茶室」同様、足元には通風用の小窓が、天井には排気口が設けられていた。
 驚いたのは、台所にある大きな配電盤と当時では珍しい電気冷蔵庫。聞けば藤井厚二は自らデザインした電気ストーブも各室に備えていたという。流しの脇のダストシュートや居間へのハッチなど随所に細かな工夫があり、自宅を実験住宅として5回目に完成した形と言われているのも頷ける。
 数え上げればきりがないが、このように藤井厚二の「聴竹居」は、外からも中からも風景と一体化して光と風を取り込み、和とモダン、機能とデザインを調和させた素晴らしい住宅であった。大山崎の地域を活性化しようとする人たちにとっても、建築史にとっても重要で価値ある文化財であることは論を待たない。
 和紙を張り重ねた天井などは、長い年月によってさすがに傷んでいるようだったが、応急処置で対応されていた。地域に残る小規模な文化財級の建物の多くは、料飲や宿泊など何らかの商いを営んでいたり、複合ビルとして営業している所を除き、維持管理の費用負担に苦心している。まして「聴竹居」は個人所有の住宅。解説していただいた聴竹居倶楽部の松隈代表によると、個人宅が文化財に指定されると修復費の負担が大きすぎるとの事。
 松隈氏を中心にした地元ボランティアの地道な保存活動に加え、テレビや雑誌をはじめ、個人所有のためかネット上で地図が見つけにくいのが惜しまれるものの、ネットメディアでの露出、一般の見学者の予約制受け入れや、ミニコンサート、大学のゼミでの活用など精力的なプロモーションを行い、寄付を募って運営・維持管理されているという。
サンプルイメージ その土地の文化的な資源で地域を活性化する取り組みを学ぶと、キーマンの情熱が前提となると言われる事が多いが、空間そのものから調度品のディティールに至るまで徹底的にこだわる藤井厚二の住宅建築への情熱が、「聴竹居」という建物や資料の記録・保存を通して、今なお受け継がれているとは考えられないだろうか。
 この日は午後から近隣の大山崎山荘美術館で、民藝の企画展も鑑賞し、自然と住居、そして生活空間にある身近な美しさについて考えさせられる秋の一日でもあった。
 次の日は京都東山に移動し、「祗園閣」、そして改修工事中の西本願寺別院の「伝道院」を見学させていただく。そういえば前日、聴竹居の前庭から玄関に続く石段を上がると、小さな不思議な石像が出迎えてくれた。この像は「平安神宮」「築地本願寺」を設計した伊東忠太と関わりがあると教えていただいたのだが、この日の見学はいずれも伊東忠太設計の大規模な有形文化財であった。住宅建築から大規模な文化財の改修現場まで、文化資源学会の遠足は本当にユニークで奥が深い。 サンプルイメージ サンプルイメージ


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