トップページ > 遠足 > 第38回

第38回 潮風に吹かれる遠足  「軍港横須賀をめぐる」

日程

  • 2010年7月10日(土)

案内人

  • 芳賀久雄(横須賀文化協会)

解説者

  • 山本詔一(横須賀開国史研究会会長)

 「海軍のまち」と形容された横須賀の歩みは、幕末における欧米諸国の世界戦略に対応するべく、横須賀鎮守府、横須賀海軍工廠の設置に始まる。敗戦後に日本海軍は消滅したものの、旧海軍工廠の地はアメリカ海軍第7艦隊の基地となり、米国世界戦略の枢要な役割を担っている。
 また、これと隣接して海上自衛隊横須賀地方総監部が置かれ、首都圏における防衛拠点として位置づけられている。
 今回の遠足は、こうした日米両国の軍事基地を控えた横須賀港において実施されている「軍港めぐり」クルージングと、東京湾唯一の自然島である「猿島」に築かれた戦争遺跡「要塞」の見学を行う。これらを通して横須賀港の歴史と現状を知る機会としたい。


「軍港横須賀をめぐる」報告記事堀内秀樹 HORIUCHI Hideki(東京大学埋蔵文化財調査室)

 今回の遠足は、自衛隊・米軍の横須賀基地、猿島要塞、戦艦三笠、諏訪神社など新旧の軍事施設・遺構を巡るものであった。

 筆者が勉強している考古学に「戦跡考古学」という軍事施設や遺構・遺物を研究する分野がある。これらのものを遺構あるいは遺物としてとらえた場合、当然ながら「資料としての評価」をする必要がある。

 こうしたものは時代の象徴的な遺構・遺物として認識できる場合が多い。その質・量的十全な準備が、国家が政治的判断の一つとして軍事行為−戦争−を選択する要因になり得るからである。例えば、建艦競争などは常に他に対して質的・量的に優位に立とうとする判断から生じるものであろう。したがって、(重要度の応じてであろうが)軍事行為を目的とした道具はその時点の最先端の技術が集約され、その時代の断面が観察できる。今回見学した自衛隊や米軍の基地内の停泊していたヘリ空母、フリゲート艦、潜水艦、また、戦艦三笠や猿島要塞などはまさしくそうした例であり、歴史の良好なサンプルとなる。しかし、これは近現代に限ったことではなく、縄文時代の弓矢、弥生時代の鉄のやじり、中世末の火縄銃、あるいは城郭などの系統上に位置しているものとも言える。これらの利用は兵器としてのみならず生業などを含めて歴史を大きく変換したtoolであった。視点によって評価は多様であろうが、こうした意味ではこれらを単なる兵器や軍事施設・遺構というより別の評価をしたい。

 発掘調査では、調査を行った遺跡を学術報告書として刊行し、資料の共有化・周知化を図っている。これは重要なことで、開発などによって無くなってしまう遺跡や遺構などの場合には図面や写真による記録保存、出土遺物は「埋蔵文化財」として保存が基本である。これまで考古学の中心であった文字などが無い(少ない)時代や地域はもとより歴史時代においても物質的資料の持つ情報の重要性は大きい。

 一方、近現代の遺物・遺構では、例えば第二次世界大戦の場合などは、現段階においても少なくなったとは言え、直接あるいは間接的に参加した方からの史的情報の伝達が可能であった。しかし、三笠や猿島砲台などは明治期の遺構・遺物であり、こうした方法での情報の伝達は今や不可能となっており、歴史の雄弁な史料としてできるだけ良好な状態での保存が望ましい。

 また、情報の周知化は多様な手段、媒体などがあり、様々なランクで実践されている。研究会活動、博物館などでの展示、講演会、ホームページの公開などなど。町おこしとタイアップして行っているところも多い。しかし、現在の経済状況の中で、失われていく文化資源も多い。残念ながら文化的方面への金銭的ケアは、ヨーロッパなどに比べて日本の優先順位は低い。案内していただいた地元研究会も若い方の参加が少ないと窺った。今後ますますこうした活動が活発になり、その周知化が望まれる今日的な状況の中で文化資源学の果たす役割は大きいと感じられた。

 これら情報の「共有化・周知化」は、保存・活用・公開などとも言い換えることができるが、こうしたことは資料の評価抜きで踏み込むことはできない。個人的には今回の遠足にどぶ板通りの町並みや諏訪神社などが組み込まれていたことが、横須賀の地域史までも含めた視野の大きさを感じた。

 横須賀文化協会並びに横須賀開国史研究会の皆様のご案内、そのあとの懇親会も含めて、楽しい遠足でした。ありがとうございました。

写真1 停泊していた海上自衛隊のヘリ空母。一隻でディズニーランドが造れるほどと聞きました。とにかく大きいものでした。

写真2 戦艦三笠の展示。内部も見学可能でした。

写真3 現在の「どぶ板通り」。自衛官の姿も見えますが、町並みはきれいになってどぶ板のイメージは一掃された感じでした。

写真4 猿島の砲台の台座。明治中期に建設されるが、実戦では使用されず。


ページトップへ戻る
©2002-2023文化資源学会