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第28回 亜熱帯の遠足  「麗しの島・台湾島の過去と現在を行く」

日程

  • 2008年9月5日(金)−8日(月)

案内人

  • 末廣眞由美、黄サンサン、張依文、黄茗詩(いずれも東京大学)
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 このたび、文化資源学会では、設立6周年を記念して初の海外遠足を企画することになりました。行き先は台北。グルメやショッピング、さらにはマッサージのメッカとして観光客に人気の台北ですが、フォルモサ(麗しの島)の別称を持つこの島の、オランダ・中国・日本による長い統治の時代や、民主化を獲得するまでの40年近い戒厳令施行の時代に思いをはせる旅は、まだ少ないのではないでしょうか。そこで、文化資源学会では、9月5日から8日(3泊4日)の日程で、台湾の歴史的遺産、日本の統治時代の遺跡、二・二八事件にまつわる記念碑などを中心に訪れる台湾遠足を企画します。もちろん、日程には故宮博物館の見学も含みます。また、希望者には夜市のミニ・ツアーやマッサージ・ツアーも提案する計画です。限られた日程ではありますが、台湾を学び、そして遊ぶ初の海外遠足に、どうぞふるってご参加ください。


第28回亜熱帯の遠足「台湾島の過去と現在を行く」を終えて末廣眞由美 SUEHIRO Mayumi(東京大学)

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 第28回の遠足は2008年9月5日から8日の日程で行われた。台湾からの留学生3名(張依文さん、黄茗詩さん、黄??さん)、学会事務局(進藤さん、下さん)、助教の福島さんを巻き込み、何度も研究室に集まって企画を練り、約半年をかけて実現にこぎつけた学会初の海外遠足である。参加者数はワーキンググループを含め30名。さらに、ガイドとして日本語の堪能な張香君さんが加わった。

 遠足の精神である「現地集合・現地解散」を貫くべく、集合場所は大半の参加者たちの滞在先であり台北駅から徒歩数分の福泰桔子商務旅館(参加者の通称はオレンジホテル)前となった。午後8時、ホテル前(隣はコンビニ)の路地に集まり手早く挨拶を済ませた後、最初の目的地である士林夜市へと急ぐ。士林夜市は様々な屋台や雑貨店などが無数にひしめき合う台北最大規模の夜市である。祭りさながらの人出と活気に圧倒されつつも、美食街で台湾風にゅうめんや牡蠣入りお好み焼きなどを堪能。さらに、衣料品店中心のメインストリートを抜け、上海風焼きまんじゅうや緑豆・タピオカ入りデザートなどを立ち食いする。ビールがなま暖かかったことを除けば、どれもが美味かつ格安。後ろ髪をひかれつつも満足してホテルに帰り、記念すべき1日目は終了した。

 2日目は、忠烈祠(辛亥革命や抗日戦争などで国のために斃れた約33万人の英霊を祀る)で衛兵の交代式と廟を見学したのち国立故宮博物院へ。約4時間をかけ各自ゆったりと美術品の数々を鑑賞し、再び合流して228和平公園へと向かった。この公園は、日本統治時代の1899年に台北公園(通称は新公園)として整備され、1996年に228事件を記念して228和平公園へと改名された場所である。

サンプルイメージ 日本ではあまり知られていない228事件とは、1947年2月27日に台北市で起こった闇タバコ売り暴行事件と台湾人青年の銃殺、翌28日の無差別発砲事件を発端とする、本省人(日本統治時代には日本国民だった台湾人)と外省人(中国大陸から進駐した、蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人)の大規模な抗争のことである。国民党政府は抗争を武力で鎮圧し、台湾では40年間にわたり戒厳令がしかれて数万の本省人が不当に逮捕・投獄、殺害されただけでなく、90年代に民主化が実現するまで言論の自由も制限された。公園内には台北228紀念館(旧NHK台北支局)があり、ここでは228事件の被害者のひとりである肅錦文氏から説明を受けながら館内を見学した(写真1)。さらに、公園そばの総統府(第4代台湾総督児玉源太郎が台湾総督府として建設、1919年完成)や公園内の228記念碑(1995年設置)などを観光して一旦解散。夕食は欣葉で本格台湾料理に舌鼓を打ち、食後には大半の学会員がマッサージを受けるべく「帝国世界」へと消えていった。

 3日目の朝は、希望者を募って華山市場の行列のできる店「阜杭豆漿」で卵焼き入り厚焼き餅と豆乳でお腹を満たしたのち、他の参加者と合流して台湾で最も有名な寺院のひとつである1738年創建の龍山寺へ(写真2)。本尊の観音菩薩をはじめ神仏混在の神々が祀られる龍山寺には次々と参拝者が訪れ、長い時間お祈りをしたりおみくじを引いたりと常に混雑している状態であった。かくゆう我々も、おみくじを引くために予定時間ぎりぎりまで三日月形の赤い木片を投げ続け、雑踏に貢献したのである。

 次に向かったのは台湾民主紀念館(現中正紀念堂)である。高さ30メートルの正門をくぐり、敷地中央の紀念館に向かう民主王道を約10分歩いてようやく館内へ。館内では、会議室で館長と張依文さんの父張炳煌氏(中華民国書学会会長)に迎えられ、紀念館の説明を受けるとともに、紀念館側から記念品の贈呈(木下会長からは東大饅頭を進呈)も行われた(写真3)。その後、館内で蒋介石の写真や遺品などの展示資料、台北市内を見下ろす巨大な蒋介石の座像を見学した。

サンプルイメージ 昼食は小龍包で有名な鼎泰豊で済ませ、昼食後は一旦解散して自由行動へ。案内人は布地や乾物の問屋街、迪化街を散策したのち淡水で夕日を楽しんだが、台北市内で観光を続ける会員あり、228事件を題材とした映画「悲情城市」の舞台となった九?まで足を伸ばす会員ありと、思い思いに自由時間を楽しんだ様子であった。夜は再び集合して台湾最後の夜を惜しみつつ鶏家荘での打ち上げで盛り上がった。

 最終日となった4日目は、空港に向かう前にノルマの免税店をこなし、さらに慈湖紀念雕塑公園に立ち寄った。慈湖紀念雕塑公園には、蒋介石の棺が安置されているほか、国民党時代に学校や公園などに建設された蒋介石の銅像百体以上(数体の孫文像含む)が台湾全土から集められている(写真4)。民進党の陳前大統領が取り壊しを命じたため行き場を失った、立像、座像、胸像など大小さまざまの銅像は、会議でも行っているかのように円状に配置されるものあり、園路に沿って等間隔に並べられるものありと、なんとも奇妙な光景をかもしていた。昨年の国民党の政権奪回を受け今後の動向が気になる公園であるが、この公園の見学をもって3泊4日の行程を終え、台北空港で無事解散となった。

 台湾遠足から半年を経て改めて旅を振り返ってみると、統治の時代や民主化を獲得するまでの長い道のりに思いをはせつつ台湾を学び遊ぶという遠足の目的は少なからず達成できたのではないかと思う。しかしこの遠足は、参加者の理解と支援、そして何より、この春には日本を離れてしまう台湾留学生の協力なしには実現しえなかったものである。改めて留学生3名に感謝するとともに、帰国後、我々ワーキンググループ宛にねぎらいの言葉を添えて感想や写真を送ってくださった多数の参加者の方々にこの場をかりて心より御礼を申し上げる――向大家表示衷心的感謝


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