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第23回 秋色の遠足  「島田大祭〜帯まつり見学」

日程

  • 2007年10月13日(土)

案内人

  • 福原敏男(日本女子大学)、清水祥彦(神田神社)
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 静岡県島田市で3年に1度行われている島田大井神社の大祭「帯まつり」は長唄のレベルがたいへん高く、おもに5台の屋台の上で演じられる長唄と踊りを見学します。帯まつりとは、島田に嫁いできた新妻や娘たちの晴れ着の帯を、神輿渡御に供奉する大奴の太刀に飾って披露したことに因むといわれます。東海道の繁華な宿駅島田の祭りには、幕末維新頃、東西各地からあまたの芸道各派が競って家元を派遣したので祭りはいやがうえにも盛り上がりました。特にお囃子や長唄三味線、振り付けには江戸の一流芸人を招いたといわれ、それが島田の誇りでした。1年半後の神田祭附祭に踊りと音曲を復元する際の参考になると思われます。


秋色の遠足「島田大祭−帯まつり見学」に参加して太田峰夫 OHTA Mineo(東京大学大学院)

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 2007年10月13日、東海道本線を乗り継いで、静岡県の島田に行ってきた。文化資源学会の「第23回・秋色の遠足」と第3回神田祭研究会を兼ねて、当地の大祭「帯祭り」を見学してきたのである。案内人は福原敏男氏(日本女子大学)と清水祥彦氏(神田神社)。

 午前10時半、大井神社宮美殿(みやびでん)に集合。簡単な挨拶の後、第3回神田祭研究会が行われた。福原氏が鹿島踊りの伝承をめぐる発表をしたほか、入江宣子氏が祭りの囃子について、田中興平氏が祭りの屋台についてそれぞれ発表する。神田祭の事例との多面的な比較考察を通して、東海道の祭礼相互の関連性・類似性が見えてきたのが興味深かった。比較という手法は必ずしも万能ではないが、確かに神田祭の「復元」の場合、島田をはじめとする静岡の事例は重要な参照点になりうるかもしれない。少なくとも筆者は、そのような印象を受けた。

 研究会の後、宮美殿の館内で昼食。食堂は披露宴会場のような場所であった。食事をとりつつ、大祭の見どころなどについて、島田大祭保存振興会副会長の鈴木利明氏に解説していただく。法被の裏表の図柄がどうなっているか、いつ裏表にして着るか、などなど、地元の人ならではの「こだわり」をお聞かせいただけたのは、ありがたかった。大祭や宿場町としての町の歴史が今もなお、人々の文化アイデンティティに深くかかわるものとして意識されていることを実感する。

 お腹いっぱい、情報量もいっぱいになったところで、いよいよ「帯祭り」を見学。ここからは鈴木氏が案内した。この頃には町はかなり混み合っていたが、大井神社の方が法被を貸してくださったおかげで、スムーズに団体行動をとることができた。参加者の一人として、神社の方々のご親切にこの場を借りて謝意を述べておきたい。

 「大名行列」は近くから見られなかった。ただ、地元の方のご厚意で、ホテルの窓から見物することができたので、おおよその様子を知ることはできた。帯をつけた「大奴」が有名だが、アクロバティックな動きをする「大鳥毛」(長い棒に赤い房をつけたもの)も、見物客の喝采を受けていた。

サンプルイメージ 「屋台踊り」については、入場からの一部始終を観察できた。屋台は棒で押して皆でゆっくり動かす。屋台の上にも男達がいて、ポーズをとったり、下の者達と大声で怒鳴りあったり。これはこれで、一つの演し物になっていた。筆者はふだん、大声で怒鳴る人を観察する機会がないので、とても興味深く見た。表情豊かな祭りである。

 大祭事務所で休憩させていただいた後、「屋台踊り」を鑑賞。これは屋台上の舞台で、地区の子供(七歳くらい)が長唄にあわせて踊るもの。見かけはかわいらしいが、演技自体は破綻のない、堂々としたものであった。伴奏は東京藝大の卒業生など、プロの演奏家達。どの地区のものも相当な時間と労力、費用がかかっているという。3年に1度の祭りだからこそ実現できるような、水準の高い演し物であった。

 今回は随分と珍しいものを見ることができたように思う。屋台の車輪部分の構造がどうなっているか、といった細かい点を観察できるとは、来るまでは正直、思ってもみなかった。我々が研究目的で来るということで、地元の方々もきっといろいろご配慮くださったのだろう。観光で来るのとは質の異なる体験ができたことは明らかで、筆者としてはその点において、参加できたことの幸運を感じた。

 そして同時に、責任も感じた。研究者は透明人間ではありえない。法被を着て、前の方に場所を占め、カメラをとり続ける我々もまた、なかば見られる側の存在であり、研究者自身も、今日の祭礼を成り立たせている大きなメカニズムの一要素になっていることを、やはり今回は痛感せずにはいられなかった。ここで見聞して考えたことを、将来何らかの形で現場にフィードバックしていかなくてはならないとしたら、それはどんなかたちで行なわれなくてはならないか、考えさせられる。こうした問いを自分の問題として見出し、持ち帰ることができたのが、筆者にとっては今回の遠足の最大の収穫だったように思う。

 なお、筆者は参加できなかったが、祭の直来(なおらい)は島田に隣接する藤枝で行なわれた。サンプルイメージ



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